有機 – 生物化学系

研究ハイライト(有機 – 生物化学系)

有機構造生物化学研究室:生きた細胞中などの生理的条件下で、蛋白質やDNAの構造とその動きを可視化する

 蛋白質などの生体高分子は、特有の立体的な形(立体構造)を保持することで多様な機能を発現し、それらが集まって複雑な生命現象を生み出しています。そのため、生命を分子レベルで理解し、疾病機構の解明や新たな薬開発などにつなげるためには、生体高分子の立体構造を解明することが不可欠です。分子の構造を可視化する手法は、現在、主にX線結晶構造解析、クライオ電子顕微鏡、核磁気共鳴分光法(NMR)の3つの手法が存在します。その中でNMRは、生理的条件に近い環境下においても原子分解能の構造解析可能な唯一の手法として注目されています。私たちの研究室では、このNMRの測定・解析技術の開発と、生体高分子への応用について研究しています。特に、運動性の大きな柔らかな蛋白質の構造・動態の解析手法の開発や、生きた細胞中での蛋白質をその場で解析できるin-cell NMR法の研究開発に取り組んでいます。

In-cell NMRの開発

 これまでの蛋白質立体構造研究は、試験管の中や、凍らせたり、結晶化させたりした人工的な環境下で行われたものでした。一方で、細胞内は分子クラウディングと呼ばれる、多種多様な生体分子が極度に密集した特異な環境 (図1a)であり、かつ常に動的に変化しています。細胞内の蛋白質もこうした特別な状況の中で、構造を保持し機能を発現しています。そのため、蛋白質の機能をより正確に理解するためには、それらが実際に働いている細胞内環境での解析が必要です。私たちは、 in-cell NMRと呼ばれる、生きた細胞内での蛋白質を原子分解能で解析する計測手法の技術開発を進めています(図1b)。

柔らかな構造領域を持つ蛋白質の立体構造決定法の開発

 蛋白質はあえて柔らかな特性を持つことで、環境の変化に応じて動的に変化し、複雑な機能を発現しています。蛋白質の中でも特に柔軟性の高いものとして、天然変性蛋白質やマルチドメイン蛋白質とよばれる種類の分子が存在します。これらの分子の多くは生体内で重要な役割を担うものが多く、従って詳細な解析が希求される生体分子群なのですが、常に大きく運動しているために、これまでは解析が非常に困難でした。私たちは、動的に変化する分子を可視化する、新たなNMR計測法や解析技術を開発しています(図2)。

(a) 細胞内分子クラウディング環境の模式図
(b) 世界で初めて真核細胞内での立体構造決定に成功したGB1蛋白質の構造. 試験管内の構造(赤)と細胞内構造(青)を重ね合わせている. GB1蛋白質は、細胞内ですこし広がった構造を取ることが分かった。

(a) マルチドメイン蛋白質GRB2の溶液中での立体構造。図中の緑(cSH3)、青(SH2)、水色(nSH3)に色分けした領域が各ドメインを示す。
(b) YUH1蛋白質の多様な立体構造の分布。YUH1のcrossover loopとgating loopは多様な構造を保持していることが分かった。

 

有機化学研究室:高性能分子触媒が拓く環境調和型ものづくり化学

 私たちの身の回りの有機化合物は「炭素、水素、酸素、窒素を主とする比較的簡単な元素組成の分子からなる物質群」で、それらの結合により極めて多様な構造をもつ化合物をつくることが可能です。私たちの研究室の大きな研究テーマの一つは、環境への負荷をできる限り抑えて(廃棄物を格段に削減し)、次世代の資源循環型社会(Circular Economy)を実現するための基盤技術となる高性能触媒・触媒技術の開発に取り組んでいます。
 この目的を達成させるには、化学反応の道筋(機構)を理解し(反応機構の解明)、ねらいの反応を効率よく進行させることができる高性能触媒(反応場)のデザインが必要不可欠です。特に研究室では、ものづくりの化学(合成化学)における最も重要な手段の一つである、炭素-炭素結合形成を効率よく実現する独自の高性能触媒の開発に取り組んでいます。例えば、入手容易な原料から今迄は実現不可能な化学反応を進行させることで、シンプルな原料からリサイクル可能で優れた機能を示すプラスチックを合成可能とする高性能触媒の開発に成功しています。
 また、炭素-炭素二重結合の組み替え反応(オレフィンメタセシス)を効率よく実現する独自の高性能触媒の設計・開発にも成功し、基盤となる金属-炭素結合の化学(有機金属化学)の分野で多くの新しい成果を達成しています。さらに、反応機構を理解するうえで重要な、反応性の高い中間体(高反応性有機金属化学種)の単離と反応性に関する研究やSPring-8などの放射光施設も利用した触媒活性種解析にも取り組んでいます。
 研究室では、これらの独自触媒による精密合成技術を利用して、石油代替の豊富な天然資源から有用化学品や分解・リサイクル可能な高機能プラスチック材料の開発にも取り組んでいます。特に天然に豊富な非可食の植物資源・植物油から、分解・再利用可能な高機能プラスチック材料(ポリマー)の開発、さらに選択的な化学結合の切断によるポリマーの分解や高効率な物質変換(ケミカルリサイクル、アップサイクル)による、ポリマーから原料や精密化学品の効率合成に有用な革新的触媒技術の開発に取り組んでいます。研究室では、独自の触媒技術の特徴を活かした、優れた光・電気特性を示す機能材料(有機半導体、共役ポリマー)の開発にも一部成功しています。

 

生物化学研究室

染色体DNA維持機構の研究

 人間の遺伝情報はDNAという分子に書かれています。ゲノム全てで、およそ30億文字のACGTの文字情報となり、1つの細胞に合計で2メートルにも及ぶ長さの長大なDNA分子があることになります。ヒト1人あたり数十兆個ほどの細胞があるので、合計で太陽系の大きさに匹敵する長さのDNAが存在することになります。DNAは、細胞の10ミクロンほどの小さな核の中に、染色体という形で高度に秩序だった構造をとって格納されています(図1が染色体像です)。私たちの大切な染色体DNAはどのようにコピー(複製)されて、分裂した後の細胞に受け渡されるのでしょうか?自分の子供には、どうやって染色体DNAは継承されるのでしょうか?私たち生物化学教室では、このような染色体DNAの働きの制御や修復・複製・継承などの維持メカニズムの研究をしています。こうした染色体DNAの仕組みの破綻は細胞の「癌化」につながることが知られています。私たちは研究を通じて得られた知識をもとにした新しい癌の治療法を提案することに挑戦しています。

リボヌクレオプロテオームの研究

 遺伝子解析の技術が進歩して、ヒトをはじめとする生物の設計図といえる「ゲノム」に暗号化された情報の全貌が明らかにされつつあります。このゲノム情報から、例えばヒトが一生を過ごす間に、21,000種類のタンパク質と多くのRNAが働いていることがわかりました。それでは、ヒトの生命活動のそれぞれの瞬間には、どのタンパク質やRNAが、どのように相互に作用しながら、どうやって働いているのでしょうか?この問いに対する答えを集積することで、生命の仕組みを明らかにするための挑戦的な研究が世界中で始まっています。遺伝子の集合をゲノムと呼ぶように、脳や肝臓の細胞で実際に働いているタンパク質やRNAの集合を「リボヌクレオプロテオーム」と呼びます。そして、リボヌクレオプロテオームの全体像とその機能ネットワークについて、質量分析法とゲノム情報を組み合わせて解析できる最先端のLC-MS技術を開発しています(図2)。私たちは、こうした技術を利用した研究によって、生命の仕組みやその異常を、タンパク質とRNAを中心とした「分子の言葉」で理解するとともに、これらの分子を標的とした新しい医療技術を提供することを目標としています。

図1

図2

 

有機合成化学研究室:典型元素の特徴を生かした電子状態と反応の設計

 当研究室では、分子性物質における原子の状態、原子間の結合の状態に着目し、いままで誰も実現したことのない特殊な電子状態、幾何構造を持つ分子を合成しています。特にホウ素やケイ素、酸素などといった典型元素の特徴を活かし、炭素–典型元素や金属–典型元素間の結合を精密に設計することで、元素の新たな一面を開拓しようと研究しています。また、合成した分子の電子構造に由来する特徴的な“機能”の開拓や、分子を合成するために結合を切ったりつないだりする新たな“反応”の開発にも取り組んでいます。

π結合性軌道設計による特殊な原子状態の実現

炭素は14族の元素で、通常は結合を4つ作ります。一方で結合を2つしか持たない中性の炭素化学種(カルベン)も存在し、置換する元素や幾何構造によって1重項状態と3重項状態のいずれかを取ります(図1上段中央)。1重項カルベンは面内のsp2混成型の軌道に電子が入り、p型の軌道が空軌道の状態が安定です。また窒素などのπ供与性の元素が置換することでこの状態を安定化し、様々な分野で利用されています(図1上段A)。私たちは、カルベン炭素にホウ素を2つ結合させた分子(ジボリルカルベン)を合成し、カルベン炭素の空軌道と被占軌道を逆転させることに成功しました(図1上段B,下段)。ジボリルカルベンは中性の炭素でありながら極めて強いルイス酸性を示し、特徴的な配位化学が期待されています。

金属–配位子協働的 結合切断/形成

分子を作る合成化学において、結合を切断する、形成するという素反応過程は最も基本的な技術です。近年では遷移金属錯体を用いた結合の切断を伴う変換反応が盛んに研究され、欠かせないものとなっています。私たちは、金属中心だけでなく金属に配位した有機配位子と金属が同時に、協働的に結合を切ったり作ったりする「金属–配位子協働作用」に着目し、新しい分子変換技術を開発しています。配位子の精密設計と金属と配位子の間の電子の動きを制御することで、これまでに出来なかった反応、選択性の制御を可能にしていきます。

図1:カルベン炭素の電子状態の逆転

図2:金属-配位子協働による結合切断